当クリニックは、10年後も「神戸歯周病歯科クリニックで治療してよかった」
と思ってもらえる治療を行う医院です。(白澤昭一)
私が小学生の頃、外で遊んでいて自転車で転んだときのことです。
顔面から歩道のブロックにぶつかるという、(しかもブロックの角!)
今、想像しても目を背けたくなるような事故です。
血まみれになって自宅に帰った私を見て、母は
「あんた!どうしたん!はよ病院に行かな!」
と、家じゅう大あわて。
もちろん、私自身もパニック状態で、「このまま死ぬんちゃうか」と思ったくらいです。
そして、いつも通っている歯医者さんに母と急いで行きました。
パニック状態になっている私と母を前に、
院長先生は、とても落ち着きながら、
「ちゃんと治りますので、大丈夫ですよ。安心してください」
と言ってくださったことを今でも覚えています。
そして、応急処置から最終的な治療までをしっかりと診てくださいました。
そうなんです。
私にとっての憧れの職業が歯科医師になったのは、この事故のおかげ?
そしてこの院長先生のおかげなのです。
歯科大学での6年間は埼玉県の坂戸市というところで過ごしました。
都心から電車で1時間ほどで、当時大学の周囲は桑畑が広がっており、雨が降ると泥だらけになるような場所でした。
そんな環境で私は、毎日、勉強と実習、テニスに明け暮れていました。
勉強で苦手だった科は、なんと今では治療の柱でもある歯周病科でした!
なぜ苦手だったかというと、当時は現在のような再生医療技術も進んでおらず、「(歯周病の)治療といっても、これは治療したことになるのか!?」という、学生ながらも疑問があったからです。
とはいえ、当時は歯科医師になるための勉強というくらいの認識で、
何とか友人と苦手な歯周病科についての勉強会(テスト対策会)を
開いたりして、乗り越えました。
ちなみに、当時の友人とは今でも大親友で、
学会や研修会等で会うたびに当時の話をよくします。
大学を卒業して開業するまでの間はとにかく忙しい毎日でした。
虫歯の治療から親知らずの抜歯まで先輩の歯科医師に叩き込まれました。
中でも歯周病治療(大学時代一番苦手だった科目)については、歯磨きのしかたから手術方法までを指導してもらいましたが、先ほど申し上げたように、まだ再生療法という治療法が確立されておらず根本的な治療が望めなかったこともあり毎日自問自答の日々を過ごしていました。
また、話は変わりますが、
現在、神戸歯周病歯科クリニックでは、消毒や滅菌の対策については、
どこの歯科医院にも劣らない自負をもって診療していますが、
実は勤務医時代のちょっとしたエピソードがあります。
ある研修先の歯科医院で聞いた話です。
その歯科医院に勤務している助手さんが、自分の歯の治療をしてもらう機会があったときに、いつもの準備とは違う準備をしていたというのです。
それは、タービンを分解して滅菌したり、バキュームや水が出る箇所を念入りにアルコールで消毒したりしていたそうです。
知り合いが「何をしているの?」と聞くと、平気な顔でこう答えたそうです。
「いや、私が治療を受けるので、ちゃんと消毒をしておきたいんです」と。
その話を私は聞いて、ビックリすると同時に怒りも湧いてきました。
おそらく彼女は、彼女の身内や大切な人には勤めている医院は薦めないでしょう。
そんな医院って、間違っていますよね!?
私はそれを聞いたときに、絶対に将来開業する時には、そんな医院にはしないでおこうと思いました。
開業してからは、今までなかなか参加できなかった 長期の研修会に参加するようになりました。
まず、インプラントを医院の柱にしようと思い、研修会で学びました。
しかし、学べば学ぶほど、歯周病治療がしっかりと出来ていなければ意味がないと思うようになりました。
そう、ここでまた学生時より苦手だった歯周病を学ぶことになったのです。
歯周病の研修会は、歯周病の基礎の復習から応用、そして最新の治療法の習得など、
半年かかるコースを6コース受講するなど、苦手だからこそ真剣になって学び続けました。
この長期にわたる研鑽を通じて、今では歯周病治療が私にとっての治療の柱となっています。